標準時と時差、日付変更線【地理のハナシ】

第1部 第2章 日本の姿(2)

はじめに

  • 地球上の位置によって、時刻が異なることを整理してみましょう。
  • 標準時(標準時子午線)や時差日付変更線等時帯サマータイムなどの重要語句を解説しています。
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1.標準時、標準時子午線について

標準時とは、それぞれの国や地域の基準となる時刻のことです。世界の多くの地域では、本初子午線(ロンドン郊外の旧グリニッジ天文台を通る経線)を基準に、15度ごとの経線を中心に標準時が設定されています。アメリカやロシアなどの国土が広い国では、いくつかの地域ごとに標準時が決められていて、同じ国内でも時刻が異なります。日本では、兵庫県の明石市を通る東経135度の子午線を標準時子午線としています。

それではなぜ、日本の標準時子午線は一般的に「兵庫県の明石市を通る東経135度の子午線」と表現されるのでしょうか。次の記事にはこのようにあります。

日本標準時の基準となる東経135度子午線は、明石市を含む12市を通っています。北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)です。それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っています。明石市は、明治43年に日本で最初に標識を建てたことから「子午線のまち」といわれています。

引用:「東経135度と標準時」明石市立天文科学館ホームページ

上記のように、東経135度の子午線は、明石市以外にも複数の都市を通っていることが分かります。その中でも明石市は、明治43年に日本で最初に子午線を表示する標識を建てたことから、「子午線のまち」と呼ばれるようになったようです。今では教科書にも「日本は、兵庫県明石市を通る東経135度の経線を基準にし、この経線上を太陽が通る時刻を正午としての標準時を決めています(『中学生の地理』帝国書院)」と記されています。明石市が「子午線のまち」と呼ばれるようになった歴史的な背景は、明石市立天文科学館のホームページの「明石と子午線の歴史」に詳しく記してありますので、興味のある方は参考にしてみてください。

2.時差について

時差とは、二つの地域の標準時の差のことです。地球はほぼ24時間で一回転(360度)するので、経度15度ごとに一時間の時差(360度÷24=15度)が生じます。世界の多くの地域では、本初子午線を基準に、15度ごとの経線を中心に標準時が設定されています。よって、経度の数値を15度で割ればイギリスとの時差を求めることができます。夏季に多くの国で夏時間(サマータイム)を採用しているので、この場合はこの夏時間を標準時として時差を計算することになります。

3.日付変更線について

日付変更線とは、太平洋上のほぼ180度の経線にそって設けられている線のことで、陸地や島を避けて定められています。この線を東から西へこえるときは日付を1日進め、西から東へこえるときは日付を1日遅らせます。南太平洋にあるキリバスでは、国の中心に日付変更線が引かれていました。同じ国の中でも日付変更線の両側で日付が変わってしまうことから、1995年の1月1日に日付変更線を東にずらしました。また、サモアが2011年の12月29日に日付変更線を東にずらし、オーストラリアなどと同じ日付に変更しています。

それでは、なぜ日付変更線が引かれることになったのでしょうか。これは、次の例えを考えてみるとよく分かります。

東に進む旅行者が、経度15度進むごとにその場所の時間に合わせて自分の時計を1時間ずつ進ませたとする。そうすると、地球を一周して元の場所に戻った時、旅行者の時計は24時間進んでいることになる。日付変更線があれば、その間に日付が1日分遅れるので、時計の進みは帳消しになる。

このような例えを考えてみると、日付変更線が設定された背景がよく分かるのではないでしょうか。

4.等時帯について

等時帯とは、標準時子午線を中心に同じ標準時を示す範囲のことで、標準時間帯やタイムゾーンとも呼ばれます。アメリカにはハワイとアラスカを除いて4つの等時帯があり、ロシアには飛び地を除いて10の等時帯があります。一方で、中国は広大な国土を持ちますが、ペキンの標準時を基準とした1つの等時帯に統一されています。

5.サマータイム(夏時間)について

サマータイム(夏時間)とは、時刻を標準時より1時間進める制度のことです。この制度は、中高緯度地域の夏季は日中の時間が冬季に比べて長いことから、太陽の出ている時間を有効に使い、仕事や余暇を充実させることが目的となっています。この制度は、20世紀の初めにイギリスで提案されました。次の文献にはこのようにあります。

1908年イギリスのウィリアム・ウィレットが、時刻を早めればそれだけ早く仕事にとりかかり、したがって早く起き、早く寝ることになり、灯火の節約になるという経済的理由と、新鮮な空気を吸い日光に長時間触れるので健康増進になるという主旨で、日光節約法案を議会に提出、否決され、その後も二回提出、否決された。

引用:『日本大百科事典10』P.245

上記のように、当初のイギリスで提案されたこの制度は、議会で採用されることなく、実際に実施されることもありませんでした。しかし、第一次世界大戦中にドイツが経済上の理由から夏時刻法を採用し、1916年の4月30日午後11時に時計の針を一時間進め、10月1日午前1時に元に戻しました。オーストリアも同時にこれを採用し、オランダ、デンマークもこれに続きました。このことを受け、イギリスでも夏時間の制度を導入することになり、1916年の5月21日に時計を1時間進め、10月に元に戻しています。その後、他のヨーロッパ諸国もこの制度を採用し、戦後もアメリカやカナダ、ニュージーランド、南アメリカなどの主要国も採用することになりました。ちなみに日本でも、1948年からこの制度が実施されましたが、一般の人々に不評であったことから、4年間続いただけで廃止されています。ロシアも同様に、2011年にこの制度を廃止しました。

出典など

参考文献

ジェームズ・ジェスパーセン、ジェーン・フィツー=ランドルフ著 髙田誠二、盛永 篤郎訳 『時間と時計の歴史:日時計から原子時計へ』2018 原書房

『改定新版 世界大百科事典』2007 平凡社

『地理用語集 第2版』2019 地理用語研究会編 山川出版

引用文献

明石市立天文科学館 ホームページ

『日本大百科事典』1994年 小学館